「誰もいない」
「ああ、まただ……!」
冷蔵庫を開けた夏美が悔しさを覗かせる。
「もう……一体何なのよ!? いい加減にしてよね……!」
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、そのまま扉を閉めた。
マグカップにお茶を注ぐ。跳ねた水滴が夏美の手の甲に落ち、思わず夏美は舌打ちをした。
注いだお茶を一気に飲み干すと、大きな溜め息をついた。
それと言うのも、全部冷蔵庫のせいだった。
遡る事10日――
大学から帰った夏美は、喉を潤そうと冷蔵庫を開けた。
「ちょっ、何よこれ!?」
夏美が驚いたのも無理はない。冷蔵庫の中には、夏美の嫌いなサラダが、タッパに入って、所狭しと詰め込まれていたからだ。
そして取っておい今朝の残りのスープがない。いや、スープだけではない。朝の内に作っておいた生姜焼きも、玉ねぎのソテーもない。
「――え?」
ふと視線をシンクに移した時だ。夏美の視界にはスープが入っていた小鍋が置いてあり、中にはスプーンが差し込まれたままで水に浸されていた。
それだけではない。なくなった生姜焼きのお皿も玉ねぎのソテーのお皿もシンクに水に浸されて置いてある。使われたとみられるお箸と共に。
そんな事がこの10日ずっと続いていた。
朝には何の異常もないのに、大学から帰ったら、食したあとの食器が乱雑にシンクに放り込まれている。
最初は、彼氏の彰(アキラ)のせいだと思っていた。合いカギを持っているのは彼だけだから、当然の推測だろう。
しかし、彰に電話をして確認をしても、疑問符を返されるだけだった。
「ねぇ、本当に彰じゃないの!?」
「知らねぇって。何で俺が夏美の部屋までわざわざ行って、食べなきゃなんないんだよ。お腹が空けば、コンビニで事足りるだろ?」
「そりゃそうだけど……」
半ば呆れた口調で彰に言われた夏美は、そう言葉を詰まらせる事しか出来なかった。
「じゃあ一体誰が? マジで気持ち悪いんだけど」
「知るかよ。ストーカーとかじゃねぇの?」
「ストーカー……警察に相談した方が良いかな?」
「そうだな。まぁ何かが起きなきゃ動いてくれないけどな」
「うう……」
そんな会話の後に、夏美は視線を感じ振り向く。だが、当然の事ながら誰もいない。
益々苛立ちを募らせる夏美であった。
「もうさ、怖いって言うんじゃないの。鬱陶しいの! 何もかもが!」
翌日、冷蔵庫を覗いて、そう夏美は叫んだ。
「毎日サラダサラダ……! もういい加減にしてよ! 私は野菜が大嫌いなの!」
夏美はジッと冷蔵庫の中を見詰める。いくら叫んでも、ぎゅうぎゅうにしまわれたサラダは消えない。
誰が用意したのか分からないサラダ。どれだけ睨めっこをしても消えるはずもない。
作った料理を置いて出掛けると『誰か』に食べられてしまうので、夏美は作り置きをしなくなった。
しかし、生卵でさえ食べられるようになり、ペットボトルの水も飲まれて、ゴミだけがシンクに捨てられていくようになった。よって、冷蔵庫にある食材は何もかもが食べられてしまう為、食材を入れて置くわけにはいかなくなってしまった。
夏美は仕方なく、空っぽの冷蔵庫にした。
しかし、状況はさらに悪くなった。
サラダがこれでもかと冷蔵庫に詰め込まれる事は止まらず、レンジの中にもサラダが詰め込まれるようになった。
「ちょ……レンジでサラダをチンしろと?」
ちなみに夏美はサラダのタッパを開けた事がない。開けて変なガスでも出て来たら困る……そう思ったからであった。
「……はぁ、もうどうしたら良いの? どうしてサラダが入ってるの? 誰が入れてるの? もう精神的にヤバいよ……」
そう言って、夏美は鞄から水のペットボトルを取り出そうと手を入れた。
「……何で?」
ガサッ……
「何でサラダのタッパが入ってるの!? いやぁあああ!」
夏美が鞄を冷蔵庫に投げつけた。鞄からノートやらサラダのタッパやらが、バザバザと床に散らかった。
「はぁ、はぁ……! 何なの!? 何なのよー!!」
悪夢……夏美はそう思う。
夏美はベッドに横になり、この悪夢から覚めるように祈って目を閉じた。
……
横長の目の周りには赤い色が何層にも塗られ、口の周りも同じ状態。
慎重は180㎝くらいだろうか。
髪はストレートの黒で、腰までの長さ。
真っ赤なワンピースに、真っ赤なリュックを背負い、手にはサラダの入ったタッパを持っている。
そんな女が夏美の目の前に立っている。
「え……?」
その女にジッと見詰められた夏美は、背筋が凍りつく。
何故怖いの? こんなに笑える恰好なのに……
夏美は必死に我を保とうとするが、女に気圧されていた。
ジリジリと女は夏美の体に近付き、ニタ~と笑みを浮かべた。
「な、何よ……!? 言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ! この化け物!」
そう夏美が暴言を吐くと、女は真っ赤な涙を流し始めた。
そしてタッパの蓋を開け、中のサラダを凄い勢いで食べ始めた。
パクパクパク……!
今の内に逃げた方が良い、夏美の脳がそう判断をした。
夏美は少しずつ後ずさりをする。
が、力強く女に腕を掴まれた。
「ひっ! 放して! いやぁあ!」
ヒュッ、ぐぼっ……!
「あ?」
夏美は素っ頓狂な声を上げ、その場に倒れた。
地面に、真っ赤に染まったサラダが散らばる。
夏美のお腹にはポッカリとした空洞が開いていた。
そこには、目一杯のサラダが所狭しと詰め込まれ、ジワジワとサラダの色が爽やかな緑から、赤色へと変貌している。
ピピピピピピ……
目覚ましの音が夏美の部屋に響く。冷蔵庫の前には昨夜の散らばったノートとサラダが存在している。
「ん……」
夏美は手を伸ばし、目覚まし時計を止めた。
「……あ、生きてる……。なぁんだ夢だったんだ。だよね、ふふ」
ヌルッ……
「!?」
夢を思い出して恐る恐るお腹を見ると、そこには空洞が出来ていて、サラダが詰め込まれていた。
「ぐふっ!」
夏美の口から血の泡が噴き出る。
「な、ん……で……?」
そのまま夏美はベッドに倒れ込んだ。
呼吸なし。
瞳孔が開き、脈も止まる。
ただ、ドクドクとお腹から血とサラダが溢れ、ベッドを真っ赤に染めていった――
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